なぜ、あえて「捏造(ねつぞう)」と呼ぶのか
【概念】は、すべて【真実】ではありません。
納得できる理由、過去のトラウマ、未来の予測。
それらが「言葉」や「意味」という形になった瞬間に、それはもはや剥き出しの【実在】とは別のものです。
外側の世界に「正しい原因」という名の真実が、独立して存在しているわけではないのです。
であれば、私たちは原因を「探す」必要はありません。
すべての概念が【真実】そのものではないのなら、創造主として、自分にとって最も心地よい設定を、自ら「捏造」すればいい。
「捏造」という不遜な言葉を使うのは、あなたが扱うすべての設定が「自由に書き換え可能な素材」であることを、一瞬たりとも忘れさせないためです。
原因探しから、原因捏造へのシフト
「なぜ、こんな現実が起きているのか?」 エゴは常に、納得できる「原因」という餌を求めて、過去の記憶や外側の法則を漁り続けます。
しかし、原因を解明しようとするその運動自体が、あなたを「観測者の椅子」から引きずり下ろし、ドラマの迷路に閉じ込める巧妙な罠です。
納得(餌)は、自ら「捏造」して与えよ
エゴがどうしても「なぜ?」から抜け出せないなら、外側に正解を探しに行くのはやめてみましょう。
そして、実在の振動と一致した場所から、自分にとって最も都合の良い、最も心地よい「解答(概念)」を、自ら捏造(ねつぞう)してあてがってやるのです。
- 「これは、実在の最大値が露呈する前の、溜めの演出だ」
- 「このエラーは、私の主権を再確認させるための舞台装置だ」
それが「客観的な事実」である必要はありません。
【概念】はすべて【真実】ではないのですから。
大切なのは、「私がそう決めた(捏造した)」という主権の発動そのものが、エゴを沈黙させ、エラーを無効化する鍵となる、という事実です。
「設定資料」として現実を支配する
捏造された原因は、真理ではなく、あなたの物語を彩るための「便利な設定資料」に過ぎません。
原因を探す受動的な態度を捨て、原因を自ら捏造する能動的なシフト。
その瞬間に、あなたはスクリーンの登場人物から、物語を書き換える「創造主」へと帰還します。
