「お金がない」
「愛されない」
「才能がない」
私たちの日常は、こうした「ない」という感覚に支配されがちです。
そして、その「ない」を「ある」に変えるために、必死にメソッドを実践したり、自分を磨いたりしようとします。
けれど、少しだけ立ち止まって、あなたの「重心(じぶん)」に問いかけてみてください。
その「ない」は、本当に真実でしょうか?
宇宙という「棚」に欠品はない
結論から言えば、この宇宙に「不足」という事象は存在しません。
宇宙は常に完璧に、飽和した状態で「実在」しています。
例えるなら、あなたは巨大な「宇宙の棚」の前に立っています。
そこには、あなたが必要とするあらゆる豊かさ、愛、充足が、既に実在として陳列されています。
それなのに「ない」と感じてしまうのは、あなたの世界が欠けているからではありません。
あなたの「知覚」に、精巧なバグが起きているだけなのです。
「ない」はエゴが見せるバグ(錯覚)
「足りない」という焦りや不安。
それは、エゴ(自我)という古いOSが映し出している、ホログラムのようなものです。
エゴは常に「分離」を好みます。
「自分にはこれが欠けている」「あちら側にはあるのに、こちら側にはない」と比較させ、あなたを生存競争の渦へと引き戻そうとします。
このとき、私たちがやってしまいがちな最大の間違いは、「そのバグ(不足)を直そうとすること」です。
不足という幻想を消そうと躍起になることは、影と戦うようなもの。
戦えば戦うほど、あなたは「不足が実在する」という錯覚を強固にしてしまいます。
直そうとせず、ただ「見抜く」
知覚を正常に戻すために必要なのは、努力ではありません。
ただ、静かにこう観測することです。
「あぁ、今、私の知覚が狂っているのだな」
「お金がない」と胸がざわついたとき、それを「引き寄せ」で増やそうとする前に、一呼吸置いてください。
そして、そのざわつきを「知覚のエラー(バグ)」として認識してあげてください。
「不足」は直すべき問題ではなく、単なる「見間違い」です。
視力が落ちて景色がぼやけているときに、景色そのものを描き直そうとする人はいません。
ただ、眼鏡をかけ直したり、目を休めたりして、視力を戻そうとするはずです。
実在の豊かさへ着地する
「知覚が狂っているだけだ」と見抜いた瞬間、あなたはエゴの支配から解放されます。
「ない」と叫んでいた思考が静まり、重力に身を任せるように重心へと沈んでいくと、そこには最初から変わらずに在った「充足」の響きが待っています。
「どうやら私は、この重みの正体を知っているようだ」
そう独り言ちて、目を開けてみてください。
世界は何も変わっていないように見えて、その実、すべてが「ある」という実在へと塗り替えられていることに気づくはずです。
不足を埋める旅は、もう終わりです。
あなたはただ、正常な知覚とともに、目の前の豊かさを観測し始めるだけでいいのです。
